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9月

大阪市立大学フランス文学会研究発表会

   Ecrit par : etudiant   in 学会

日時:2010年9月20日(月・祝) 14:30より
場所:大阪市立大学法学部棟711C教室

1. 今中舞衣子:「ピアライティング――対話がもたらす学びとその可能性」
本発表の目的は、外国語としてのフランス語ピアライティング活動を事例として、学生どうしの対話がもたらす学びの質を分析・考察し、その過程を研究会参加者のみなさんと共有することにあります。
発表者は、日本人学生がふたりで協力してフランス語の文章を書く活動を観察し、書く過程、書かれた文章、学生の振り返りの結果を分析しました。その際、ヴィゴツキー理論の再評価を主な文脈として成立した、社会文化的アプローチの立場をとりました。このアプローチは、人間の心的過程と文化的、歴史的、制度的な状況との本質的関連性を説明していくことを目標としています。研究の過程で発表者は、こうした定義における「文化」、「歴史」、「制度」といった用語を、「個々の状況を形成している人や物の相互作用を通して変容していく文脈」ととらえました。
活動の分析と考察の過程をみなさんと共有することで、フランス語を書く活動における対話の重要性を示したいと思います。

2. 小林裕史:「超越論的主体・分身・(吸血鬼)幻想・エス・超自我・近代」
(題が変更になりました)
前回は、「(カントの)超越論的主体とは何か」と題して、その意味を明確化すると同時に、その意義を、哲学史におけるそれについてはジル・ドゥルーズのカント論を介して、もっと広く西洋の知全般の歴史におけるそれについては、ミシェル・フーコーのエピステーメー論を通じて、確認しました。
今回は、それについての補足です。
カントが思考する主体の核心部に亀裂を刻みつけて(『純粋理性批判』)以後、ほとんど時をおかずして、臨床の場において、「もう一つの人格」が現れ、文学作品にあっては、その「もう一つの人格」の客体化と言ってもいい「分身(ドッペルゲンガー)」の主題が氾濫し始めることになります。そうであってみれば、主体自身の核心部における亀裂の向こう側(表象空間の外部)を再び表象空間の内部へと、つまりは目に見える形象へと奪還すべく、「分身」であれ、あるいは「吸血鬼」のような幻想的存在であれが召喚されることにもなったのではないか。こういったことどもについて問うてみたいと考えています。

3. 津川廣行:『ジュヌヴィエーヴ』の結末について
――「複雑系」の観点から――
(題が変更になりました)
アンドレ・ジイドの『ジュヌヴィエーヴ』(三部作の三作目)は、最初『贋金つかい』にも匹敵するような「小説」でない「小説」として計画されながらも、「未完の告白」という副題のとおり、その執筆・刊行によって所期の目的を果たせなかったという意味では「失敗」におわったといえるだろ う。本発表は、この「失敗」の背景と意義についての考察を、とりわけ、従来の技法への依拠によってかろうじて「小説」としての深みをえた第二部の 結末に注目しながら、行おうというものである。一九三〇年からの六年余りにわたるその構想・執筆の時期が作者のアンガージュマンの季節と重なるだ けに、『ジュヌヴィエーヴ』は、フェミニズム小説、政治小説、社会小説、コミュニズム小説として計画されたものとみなされがちであり、したがって その失敗は、文学・芸術と政治問題の相性の悪さとして、またこのころの作者の創造力の低下の結果としてとらえられてきた。
本発表では、『ジュヌヴィエーヴ』の「失敗」は、小説形式の問題でもあることに注目し、アンガージュマン作家の失敗という意味を越えて、また主題やプランの欠如という作家としての力量の低下という問題をこえて、ジイドが、「複雑系」的世界観と呼ぶことのできるようなヴィジョンを抱きながら、これを表現し切れなかったことに由来するものであるとする。

Cet article a été publié le 土曜日 11 9月 2010 à 11:49 et est classé dans 学会. Vous pouvez suivre les commentaires sur cet article en vous abonnant au flux RSS 2.0 des commentaires. Les commentaires et les pings sont actuellement fermés.

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