Archive de 3月, 2019

2019年3月24日(日)に、都市文化研究センターと共催で、科研費による共同研究の成果報告シンポジウムを、下記の通り開催いたします。ぜひご参加ください。

独仏語圏文化学研究会シンポジウム

世紀転換期の装飾と「近代性」をめぐる問題

 ―ヨーロッパ文化論の視座から―

日時:2019年3月24日(日)午後(13:30-18:00)
会場:大阪市立大学 杉本キャンパス 文化交流室(学術情報総合センター1階)
主催:大阪市立大学フランス文学会/共催:文学研究科都市文化研究センター
(科研費助成事業 基礎研究C:16K02541)

<概要>
19-20世紀の転換期に欧州に広がった芸術と工芸・産業の総合や革新への運動に関し、独仏語圏4カ国の状況を探ってきた3年間の共同研究の成果を報告するとともに、一連の動きの出発点であるイギリスのアーツ・アンド・クラフツの思想と繋げてとらえ直す機会として基調講演を設け、杉山真魚氏(岐阜大学准教授)にご登壇いただきます。
また、中島廣子氏(本学文学研究科名誉教授)には、フランス世紀末の装飾趣味を文学・文化学の観点から研究する中で、翻訳作業を通じて生じるテクストとの格闘という角度から、その裏話をお話しいただきます。

 

<基調講演概要>

アーツ・アンド・クラフツの思想:

  モリスの歴史観と近代性の関係を中心に

杉山 真魚(岐阜大学教育学部 准教授)

19世紀末に比類のない活躍をみせたウィリアム・モリス(1834-96)は「近代デザインの先駆者」と評されることもあれば、「中世主義者」としてその前近代的な思想や作品が取り上げられることもある。近代の先進性をモダニズムとして評価する立場からはモリスの過去への眼差しは懐古的であるとの批判を受けやすい。しかし、かれが過去、とりわけ中世に見出したのは民衆の理想的な生活のあり方であった。1880年代、社会主義思想の高まりとともに、それまで主として中産階級を指して用いられていた「民衆」の概念が労働者階級にも適用され、生活に関わる各種芸術の生産面が主題化されていったと考えられる。本発表では、「民衆の生活」に関するモリスの言葉やかれが主導したとされるアーツ・アンド・クラフツ運動の事績を辿りながら、19世紀後半の英国における装飾芸術について考えてみたい。

 

<パネル報告要旨>

アール・ヌーヴォーの初期理念と世紀末ベルギー:

  ヴァン・デ・ヴェルデとその周辺

白田 由樹(大阪市立大学大学院文学研究科 准教授)

「アール・ヌーヴォー」は今日、動植物のモチーフや有機的曲線を多用した装飾スタイルと認識されるが、1880年代のベルギーではまず印象派などの前衛芸術を指す言葉として使われ、その後、1894年に諸芸術の再統合という理念を示すものとして美術工芸家アンリ・ヴァン・デ・ヴェルデ(1863-1957)が用いた。それがパリの美術商ビングの店の名となった直後に変質が始まり、この店に協力したヴァン・デ・ヴェルデも早々にこの呼称を手放す。フランスやイギリスの影響を受けつつ、より革新的かつ普遍的な装飾と生活の美を模索した彼の理論は、当時のベルギーの芸術運動や社会主義の様々な思潮と連動している。本報告では、彼の言論に見られる原始性志向を世紀末ベルギーの文芸・思想コミュニティとの関係から考察した結果をふまえて、今後の研究の展望について検討したい。

 

フランスの室内装飾とコレクションの大衆化:

  蒐集マニュアルの変遷から

辻 昌子(大阪市立大学大学院文学研究科 都市文化研究センター研究員)

19世紀末のパリにおいては、ゴンクールの『芸術家の家』(1881)やユイスマンスの『さかしま』(1884)などにみられる洗練された審美家の孤独な室内がもてはやされる一方で、室内をいかに装飾するかということが広く一般大衆の関心事となり、メディアにおいても「室内」が大いに注目されることになる。本発表では、コレクションの大衆化をより促進する契機の一端を担ったと考えられるボスクの『美術骨董事典』(1883)を中心に、当時出版された蒐集マニュアルの変遷をたどりながら、室内装飾におけるコレクショニズムの側面に焦点をあて、「買い手」側からみた室内の問題について考察したい。

 

ウィーン工房の方針転換:優美さの選択

高井 絹子(大阪市立大学大学院文学研究科 准教授)

世紀転換期のウィーンでは、都市改造計画が着々と進行する中、新しい社会の担い手である、主としてブルジョワ階級を中心に、その住環境の刷新をめぐって様々な議論が生まれ、それぞれの主義主張は建築、工芸の分野での試行錯誤の中にその姿を表す。博物館付属工芸学校の教授ヨーゼフ・ホフマンが陣頭指揮をとるウィーン工房(1903-1932)もまた、設立当初、アール・ヌーヴォーをいち早く脱却した、矩形を特徴とする簡素な作風で世に斬新な印象を与えたが、5年ほどで方針を変える。本発表では、1908年におけるアドルフ・ロース(1870-1933)のウィーン工房批判(装飾批判)を手掛かりに、ウィーンにおいて「新しさ」とは何を意味したのか、ウィーン工房の方針転換(試行錯誤)のプロセスを紹介しつつその意味を考察したい。

 

「新しい装飾」と「新しい芸術」をめぐって:

  H. ムテジウスによるドイツの独自性の追求

長谷川 健一(大阪市立大学大学院文学研究科 准教授)

近代工芸運動において周辺国の後塵を拝していたドイツでは、20世紀初頭に始まる工芸学校改革等の様々な試み、さらには他国との差異化を意識した独自路線の追求を通じて、自国製品の評判回復に向けた努力がなされるとともに、芸術と産業の融合を掲げる新たな動きが活発化した。この過程で重要な役割を担ったのが、1907年に設立されたドイツ工作連盟の中心人物で、プロイセン商務省の官吏、そして建築家でもあったヘルマン・ムテジウス(1861-1927)である。本発表では、雑誌『装飾芸術』に掲載された論考「新しい装飾と新しい芸術」(1901)ならびに初期の著作の分析を通じて、彼が目指した「新しい芸術」のあり方とドイツの独自性との関係について考察する。また、ムテジウスの問題意識を投影した実例として、郊外型住宅「ラントハウス」を取り上げ、その文化的・社会的意義についても言及する。

 

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シンポジウム・ポスター(案v.1.4)20190324