Archive de 3月, 2012

18
3月

大阪市立大学フランス文学会 研究発表会

   Ecrit par : etudiant   in 学会

日時:3月24日(土) 大阪市立大学 1号館126教室 13:00より
* 大窪優子
 La notion de “beauté convulsive” chez André Breton et ses prolongements théoriques: rencontre de l’esthétique et du politique

 本発表では2011年にパリ第七大学に提出した博士論文の概要を報告させていただきます。
Résumé: Ce travail a un double objectif: analyser l’élaboration de la notion de “beauté convulsive” dans l’œuvre de Breton afin de reconstruire la théorie du langage du poète, et examiner les relations entre esthétique et politique chez l’auteur. Au lieu de faire l’histoire du parcours politique du surréalisme, notre étude propose une relecture des textes écrits par Breton depuis les années 1920 jusqu’au milieu des années 1930, depuis la période “intuitive” et anarchiste jusqu’au rapprochement et à la rupture avec le Parti communiste en 1935, afin d’interroger le travail du politique dans la pensée esthétique du poète. Il est en effet nécessaire de restituer l’esthétique de Breton dans son contexte historique et politique si l’on veut en saisir toute la portée. La “beauté convulsive” est le nom que prend la stratégie de l’indétermination adoptée par Breton et qui lui permet de déjouer tout dogmatisme de la signification.
 *今中舞衣子
 非専攻課程フランス語における学生の学びとは

本発表では、フランス語フランス文学などの関連分野を専攻としない学生へのフランス語教育について考えます。いわゆる仏文専攻の学生を対象としたフランス語教育については、フランス語の文献を読みこなしたり、関連分野に関する文化的素養を身につけたりすることが授業目標となる場合が多いと思います。ではその他の、理系も含む他専攻の学生は、フランス語の授業から何を学ぶのでしょうか。そこに単なる意思疎通としてのコミュニケーションをこえた学びがうまれるとき、その学びは、彼らひとりひとりの大学四年間の成長においてどのような意味をもちうるのでしょうか。本発表ではまず、発表者が三年間にわたって試行錯誤を続けている、学生どうしの対話を核とした授業実践をご紹介します。そして、その実践における学生の学びの分析を通して、言語や文化を学ぶことの意義を、その定義もふくめて再考察したいと思います。

 * 秋吉孝吉
 ジャン=クロード・レーベンシュテインの方法

 1942年生まれのジャン=クロード・レーベンシュテイン(Jean-Claude Lebensztejn)は、「古典文献学と美術史学の押さえを完璧に成した上で、これまでに企てられていない問題設定と斬新な視点から対象に切り込む」(三浦篤)論考を、雑誌Critiqueやポンピドゥー・センター発行のLes Cahiers、あるいは著書の中で、数多く発表してきた。美術史関係の仕事に関しては『西洋美術研究』9号での三浦篤によるインタビューに詳しいが、本発表では、2009年に出版されたPygmalion(les presses du réel, 2009)を中心に、その論述のスタイルについて考察してみたい。

 * 白田由樹
 「東洋女性」の表象とサラ・ベルナール-1900年パリ万博における川上貞奴との比較から-
  本発表は、これまでのサラ・ベルナール研究の補完として、また今後ジェンダーと人種をめぐる表象の考察へと展開させていくための模索段階として行うものである。博士論文では、この女優がイメージ戦略としてユダヤ女性のイメージを利用したこととともに、後期における男役には中心的・英雄的な主体性を示す自己表象への希求が表れていることを確認した。しかし、自らの「ユダヤ性」や「女性性」を観客の期待に沿って体現した面と、愛国心を英雄的に体現するもうひとつの面との温度差は、それぞれの作品にたいする言及や沈黙の中に垣間見えるものの、じゅうぶんな検証はできていない。
 日仏演劇の比較研究としての今回の試みは、1900年のパリ万博でブームを起こした川上音二郎の一座とその看板女優であった貞奴に対し、サラ・ベルナールが示したとされる拒絶反応のエピソードに由来する。その背景に、観客の期待によって作り出される「東洋」と「女性」の特性、それを強化する身体や視覚表現の役割、みずからを「他者」の姿で客体化する商業的戦略と、主体としての自己表象への希求の間にあったジレンマを検証することが、本発表の主旨である。サラの演目としては、1884年に初演され、大ヒットしたヴィクトリアン・サルドゥの古代オリエント劇『テオドラ』を検討の対象とする。
 19世紀末における人種とジェンダーの表象に関する問題は、近年さまざまな方向から取り上げられているが、本発表ではこれらの表象を体現する者とまなざす者との関係から考察し、「東洋人」や「女性」表現者の内的動機と葛藤を解明していく手がかりとしたい。

 *津川廣行
『背徳者』にみる進化論的発想

本発表は、ジイドの『背徳者』を取りあげ、架空の起源から世界を誕生させ作りあげていったソチ『鎖を離れたプロメテウス』の場合とは反対に、こ のレシにおいては、現在の制度や慣習から起源へと遡行するその逆向きの過程のうちに進化論的発想がみられるとするものである。「文化とは命から生 れて、命を殺す」ものだという考古学者ミシェルの思想表明のうちに、ジイド評者達はこれまで、彼の新しい生き方を導くモラルをしかみなかった。本 発表では、原初の「命」へと向かうことによってその起源にはあったはずの調和を求めようとする主人公ミシェルの試みは、病気から回復した者のモラ ル体験であったばかりでなく、一種の歴史体験でもあったとする。すなわち、パリ、ノルマンディー、北アフリカという彼の旅程は、三年間の個人的体 験であったばかりでなく、「プリミティヴ」なものへと向かう歴史的なスパンの体験でもあった。かつてのタヒチにおける「プリミティヴ」な人たちへ の関心を、ジイドはダーウィンと共にするが、ただし、科学者として慎重だったダーウィンの進化論が「中間からスタート」しているのにたいして、モ ラリストとしてのジイドは、ミシェルの「背徳」を善悪の彼岸へと導く、リセット装置としての「起源」を仮定しないではおかなかった。以上、『背徳 者』にはジイド独特の進化論的発想がみられるものの、それは、起源への遡行という点、また進化をやめた文化や制度への警告という点において、いわ ば裏返された進化論の発想であったといえる。

14
3月

追いコン2012

   Ecrit par : admin   in イヴェント

以下のとおり追い出しコンパを開催します。

日 2012年3月16日(金)
時間 19:30-21:30(19:20にJR天王寺中央改札口集合)
場所 阿倍野Qs4F イタリアクアトロ
費用 一人3000円
(別途追いコン費用700円もお願いします)