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本研究発表会は、台風21号の接近による交通ダイヤの運休が予想されるため、延期となりました。

開催日時については後日、改めてお知らせします。

 

以下の通り、大阪市立大学フランス文学会研究発表会を開催します。
みなさまのご参加をお待ちしております。

日時:2017年10月22日(日)15:00―17:00
場所:大阪市立大学 法学部棟11階 711C教室

発表者、タイトル、要旨は以下のとおりです。

大山 大樹

「グループワーク中にリフレクションを促す「書き込まれたもの」―フランス語初級クラスの相互行為分析―」

 本発表の目的は、グループワーク中の他者との関わりのなかでのリフレクションに注目し、それが行われるにあたり何が効果的に機能しているのかを明らかにすることである。録画記録の詳細な分析の結果、課題を進める中で学習者たちによってプリントに書き込まれたものが媒介として効果的に機能し、リフレクションが促されていることが分かった。このことから、グループワークのデザインに書く作業を組み込むことの有効性を主張する。

辻 昌子

「世紀転換期におけるコレクター像の諸相―Ernest Bosc,Dictionnaire de l’art, de la curiosité et du bibelotを中心にー」

 発表者はこれまで世紀転換期の文学作品やメディアで言及される、室内をあらゆるオブジェで充溢させる偏執について考察を重ねてきた。孤独な陳列室が、そこに閉じこもる人物の一種の自我の墓場として表象される一方でコレクションの熱狂が広く一般に普及していたことも周知の事実である。本発表では、「新参者のコレクター」向けの画期的な辞書として1885年に出版された、Ernest Bosc, Dictionnaire de l’art, de la curiosité et du biblotを主にとりあげ、当時の室内装飾をめぐる大衆的な側面について分析したい。

Laurent Bareille

“Manga, Anime, Visual kei, le succès des sous-cultures japonaises auprès de la jeunesse française”

 Dans la France d’après 1945, les sous-cultures de jeunesse sont toujours venues des Etats-Unis ou du Royaume-Uni, des années 1960 aux années 1980 : le rock, le punk etc. A partir des années 1990, l’influence anglo-saxonne va laisser place à une autre provenance, le Japon. En effet, à partir de cette période les adolescents français vont s’intéresser aux mangas, les bandes dessinées japonaises. D’un phénomène d’abord intimiste on va passer à un véritable effet de mode, un engouement, non seulement pour le manga, mais également pour l’animé, la j-pop, le j-rock et le visual rock ou visual kei. Nous allons évoquer l’historique de ce phénomène, expliquer ses mots-clés, et chercher à comprendre pourquoi le Japon fait rêver tant de jeunes français.

6月25日(日)に研究発表会を開催いたします。
当日のプログラムと発表要旨をお知らせいたします。

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【プログラム】

大阪市立大学フランス文学会研究発表会
2017年6月25日(日)開催
於:大阪市立大学法学部棟11階711C教室
開始時刻:14時

タイムテーブル、発表者(敬称略)、発表題目

1.14:00?14:30
有田豊(立命館大学嘱託講師)
「中世ヴァルド派詩篇『崇高なる読誦』の成立時期に関する諸主張」

2.14:30?15:00
傳田久仁子(関西外国語大学教授)
「『長靴をはいた猫』の挿絵―1843年キュルメール社『過ぎし日の物語』における末息子像」

3.15:10?15:40
藤本智成(大阪市立大学非常勤講師)
「ジイドとヒトラー――ヴェルサイユ条約を視座にして――」

4.15:40?16:10
Laurent Bareille (大阪市立大学特任講師)
「Exploitation et vision du cinéma français au Japon」

5.16:20?16:50
溝口大将(大阪市立大学前期博士課程1年)
「フランス語版VOCALOID「ALYS」のフランス語学習への応用の試み」

【発表要旨】

1.有田豊(立命館大学嘱託講師)
「中世ヴァルド派詩篇『崇高なる読誦』の成立時期に関する諸主張」

本発表は、ヴァルド派における集団意識の構築に関連する研究の一環として、彼らが中世期に作成した文書の1つ『崇高なる読誦』の過去の研究蓄積、とりわけその成立時期に関するものを俯瞰し、先行研究の到達点を明らかにするものである。
17世紀以降、当該文書は「1100年」頃に作成されたと信じられ、ヴァルド派が12世紀以前から存在することの根拠として利用されてきた。しかし、19世紀における研究により、現在では「1400年」頃に作成されたという説が有力視されている。

2.傳田久仁子(関西外国語大学教授)
「『長靴をはいた猫』の挿絵―1843年キュルメール社『過ぎし日の物語』における末息子像」

ルイ・マランも述べるように『猫先生、または長靴をはいた猫』における猫は、常に言葉の力を利用しながら状況を変えていく。唯一、猫が言葉の力を用い始める前の段階が冒頭の場面であるといえる。
1697年から1960年までの英仏の刊本を調査したエスカルピは、1920年以降になると、この冒頭部、特に「末息子の境遇への同情を呼び覚ます」「絶望した末息子」を描く挿絵本の数が増加していくと指摘しているが、19世紀における冒頭部挿絵での末息子像には揺れがみられる。
今回は1860年ドレ以前の冒頭部末息子像(特に1843年キュルメール版)の比較を通し、『長靴をはいた猫』受容の一端の跡付けを試みる。

3.藤本智成(大阪市立大学非常勤講師)
「ジイドとヒトラー??ヴェルサイユ条約を視座にして??」

ジイドは1933年の『日記』において、ヒトラーの演説について、一定の警戒心を抱きながらも、「素晴らしい」と評した。ヒトラーの所業を知る後世のわれわれは、ヒューマニズム作家ジイドが、33年の時点であれ、独裁者ヒトラーへの共感を表明した事実に驚かされる。
ジイドはヒトラーの演説のどの部分に賛同したのか?
ジイドのヒトラー観や歴史認識に見られる特徴的な筆法を分析し、晩年のジイドの、知識人としての姿勢についてあらためて考えてみたい。

4.Laurent Bareille (大阪市立大学特任講師)
「Exploitation et vision du cinéma français au Japon」

On peut aisément dire que le cinéma américain dit hollywoodien, en langue anglaise exerce une hégémonie sur le monde. Cependant d’autres pays comme la France, le Japon, l’Inde sont en termes d’entrées et de revenus présents sur le marché mondial.
Ainsi la production cinématographique française se porte bien, elle détient la première place en Europe avec en moyenne 260 à 270 films sortis par année entre 2012 et 2014.
Le cinéma français est donc important d’un point de vue quantitatif, de plus il arrive à s’exporter. En effet, la France était en 2013 le 2ème exportateur de films derrière les Etats-Unis. Une première raison pourrait être évoquée, l’existence d’un monde francophone (Belgique,
Suisse, Luxembourg, Québec etc.) demandeur de films en langue française. Mais ce n’est pas la seule, le cinéma français connaît également un certain succès dans des pays francophiles comme le Japon.
Il existe un festival du film français au Japon, qui propose chaque année à la presse et aux spectateurs japonais de découvrir la production cinématographique française récente. On peut cependant penser que le cinéma français au Japon demeure un objet culturel à part pour le spectateur japonais lambda. Ainsi, nous verrons dans notre développement pourquoi le cinéma français plaît ou déplaît.

5.溝口大将(大阪市立大学前期博士課程1年)
「フランス語版VOCALOID「ALYS」のフランス語学習への応用の試み」

2007年の「初音ミク」の発売以降、VOCALOIDを用いた様々な作品が発表されているが、歌唱合成ソフトを活用した外国語教育は実現されていなかった。
本発表では、フランス語での歌唱が可能な「ALYS」を用いてフランス語学習のチュートリアルを作成し、効果を検証するために行った実験と結果を考察する。
フランス語の産出能力の向上に寄与し、情意面でも一定の効果をあげうることから、VOCALOIDを外国語教育に用いることの可能性を明らかにしたい。

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みなさまのご来場をお待ちしております。

 今年度の大阪市立大学フランス文学会の第2回研究会とシンポジウム、JAZZライヴを3月19日(土)に開催します。
それぞれの時間・会場と、発表の要旨・主旨は下記のとおりです。
  • 10:30-11:30 2015年度総会 会場:1号館3階135教室(エレベーター右隣)
  • 12:30-13:30 研究発表会 会場:1号館3階135教室
  1. 井内亨(大阪市立大学大学院文学研究科前期博士課程)
    「『一斉授業』中に語る学習者たち――協働学習にもとづいてデザインされたフランス語授業を例に――」
    【要旨】
    教師が学習者に学習内容の解説を行うかたちで進行する一斉授業は、いまや批判の対象にあげられることが多いが、一斉授業のなかで学習者たちがどのようにふるまっているのか、どのように学んでいるのかは明らかにされていない。そこで、本発表では、協働学習を中心に据えた授業において成立する一斉授業をビデオ録画し相互行為分析を行った。分析の結果、学習者たちは、教師の発話を「聞く」ことでグループワークをふりかえっていることが明らかとなった。このことから、一斉授業に対して行われる批判である学習者の受動性は、実際にはあてはまらないことが指摘される。
    司会:中條健志
  2. 川北恭子(大阪大学大学院言語文化研究科教授)
    「en tout casについて」
    【要旨】
    現代フランス語における連結詞の基本的機能を検討・考察するにあたって、経験則及び意識化させた推意を介しての分析方法を提示してきた。この分析方法によって、連結詞には推意を介すものと介さないものがあるという点が理解され、類似する連結詞間の差異が明らかになるものと考えられる。本発表では、分析対象としてen tout casを取り上げ、実例を用いてaprès tout, de toute façon, quoi qu’il en soitとの比較対象も交えながら、以下の2点を中心に論じ、その機能を仮説立てたい。?類義語とされるen tout casとde toute façonは推意の介入の有無という観点から考察すれば、類義性が消失する。?この2つは共に日本語に訳す際「いずれにせよ」となる場合が多いが、この「いずれ」の指示対象が明白に異なる。
    司会:久後貴行
      • 14:00-16:30 シンポジウム 会場:田中記念館2階会議室

「遠近法、三単一、主観――表象空間の歴史的変容をめぐって――

【趣旨】
文学研究の直接的な対象ではないにしても、その背景ないし背景の背景とでも言えそうな事柄、たとえば、線遠近法とはどういった意義をもつのか? 西洋史において、時空の再編、主体/主観の生成はどのようになされてきたのか? 三単一に類似の規則が音楽や美術にも見られるというのはどういうことなのか? 時代を通じて表象空間はどのように変容してきたのか? 人体、さらには人間そのものを機械と捉える思考はどこから来たのか? ロココの行き着く先は、なぜあのように淫らになっていったのか?
こういった問いをめぐって、哲学、美学、心理学の専門家であるパネリストを交えて、ご出席いただける方々と共に考えてみたいと思っております。

     ●司会:鈴木田研二(大阪市立大学非常勤講師:十八世紀仏文学)
    1. 基調講演
      ●小林裕史(大阪市立大学非常勤講師:十八世紀仏文学)
      「図像をとおしてたどる表象空間の変遷――ルネサンスからバロック、ロココへ――」
    2. パネルディスカッション
      ●石黒義昭氏(大阪市立大学非常勤講師:美学、芸術学)
      「近代の学としての美学」
      ●天瀬正博氏(奈良女子大学文学部准教授:認知心理学、心理学史)
      ヨーロッパ中世後期から近代に至る時空観念の変化からみた線遠近法」
      ●橋本文彦氏(大阪市立大学経済学研究科教授:科学哲学、行動情報論)
      「時間と空間のパースペクティブ」
  • 16:30-17:20 休憩、軽食ビュッフェ(会費制) 場所:田中記念館1階ホール前ロビー(ホワイエ)
  • 17:30-19:00 JAZZライヴ(カンパ制) 会場:田中記念館1階ホール

出演:平田匠(ピアニスト)
曲目:「フラジャイル」「マイ・フェイヴァリット・シングス」「マイ・ベック・ページ」「ハレルヤ」「ノクターン」「パダム・パダム」「行かないで(Ne me quitte pas)」「Si」

大阪市立大学フランス文学会を下記のとおり開催します。
今回は、ことし3月にご逝去になった本学名誉教授・道宗照夫先生の追悼の会を兼ねております。
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日時:2014年9月14日(日)
14h30- 道宗先生追悼の会
15h00- 研究発表会
於:大阪市立大学1号館126教室
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研究発表要旨

1. 福島祥行
「協働学習における学習者の自律性生成――相互行為分析による理論化のこころみ――」

「教えから学びへ」のトレンドのもと、「学習者中心」は当然のこととなり、協働学習の実践もふえてきている。しかしながら、その実践をささえる理論的基盤は依然としてヴィゴツキーらにとどまり、学習者がいかに学んでいるかについて厳密に考察した研究は数少ない。本研究では、学習者たちの相互行為をマイクロ分析することにより、これまで指摘されてこなかった学習者のふるまいをあきらかにし、あらたな理論の提出をめざす。今回は、とりわけ「文法事項」がいかにして相互行為裡に学ばれているかを詳述する。

2. 津川廣行
「『新しき糧』にみる「進化」の問題――《来るべき神》の思想を中心に――」

 ジイドの『新しき糧』(1935年刊行) は、雑多な要素からなる統一性のない作品とみなされており、その評価は高くない。19年間のうちの様々な時期にかかれた文からなるこの作品は、『地の糧』風の抒情、『汝も亦』風の祈り、と同時にまた神の価値の切り下げ、青年マルクとの生活の喜び、幸福への賛歌、コミュニズムへの共感といった相矛盾するとさえ見えるような多くの様相を呈している。
 ところで、ジイドは、1916年、1921年そして1942年の『日記』で、発表者が《来るべき神》の思想と呼んでいるコスモゴニックな世界観について述べている。すなわち、?神は、人間を創ったとき、世界がどうなっていくのか見通してはいなかった。?中間段階では、人間こそが、神とともに歩むことによって、自らと神と世界を創りだして行く。?人類は、神自身にさえわからない目標を《神》として到着点へと突き進んでいく、とするものである。遅くとも1916年には始まっていたこの世界観は、『新しき糧』の執筆期間全体を覆っており、実際、作品中でも、これについての言及がなされている。
 この点から検討すると、『新しき糧』の根底をなすのは、人類の「進歩」あるいは「進化」である、と結論することができる。彼が「進化」に「進歩」の期待を込めえたのは、「自然」の調和への賛歌によってである。この観点からすれば、『新しき糧』の抒情も、神への祈りも、神の価値の切り下げも、コミュニズムへの共感も同根のものと見ることができる。自然への信頼と一緒になった人類の進化への期待、これが『新しき糧』の情熱をなす。

リュテス研究会の発表要旨をお知らせ致します。

【研究発表】
1.「連結詞――経験則と推意を介しての実証的分析――」 / 川北(安生)恭子
言語現象そのものの実態を把握・検討するための従来の研究方法の問題点・反省点を踏まえた上で、 Lire la suite »

リュテス研究会の発表要旨をお知らせ致します。

1.「近世ヴァルド派史書にみる起源伝承の変遷とその変化理由に関する一考察」
発表者:有田 豊(大阪市立大学大学院 後期博士課程)
本発表は、起源伝承によるヴァルド派 Lire la suite »

18
3月

大阪市立大学フランス文学会 研究発表会

   Ecrit par : etudiant   in 学会

日時:3月24日(土) 大阪市立大学 1号館126教室 13:00より
* 大窪優子
 La notion de “beauté convulsive” chez André Breton et ses prolongements théoriques: rencontre de l’esthétique et du politique

 本発表では2011年にパリ第七大学に提出した博士論文の概要を報告させていただきます。
Résumé: Ce travail a un double objectif: analyser l’élaboration de la notion de “beauté convulsive” dans l’œuvre de Breton afin de reconstruire la théorie du langage du poète, et examiner les relations entre esthétique et politique chez l’auteur. Au lieu de faire l’histoire du parcours politique du surréalisme, notre étude propose une relecture des textes écrits par Breton depuis les années 1920 jusqu’au milieu des années 1930, depuis la période “intuitive” et anarchiste jusqu’au rapprochement et à la rupture avec le Parti communiste en 1935, afin d’interroger le travail du politique dans la pensée esthétique du poète. Il est en effet nécessaire de restituer l’esthétique de Breton dans son contexte historique et politique si l’on veut en saisir toute la portée. La “beauté convulsive” est le nom que prend la stratégie de l’indétermination adoptée par Breton et qui lui permet de déjouer tout dogmatisme de la signification.
 *今中舞衣子
 非専攻課程フランス語における学生の学びとは

本発表では、フランス語フランス文学などの関連分野を専攻としない学生へのフランス語教育について考えます。いわゆる仏文専攻の学生を対象としたフランス語教育については、フランス語の文献を読みこなしたり、関連分野に関する文化的素養を身につけたりすることが授業目標となる場合が多いと思います。ではその他の、理系も含む他専攻の学生は、フランス語の授業から何を学ぶのでしょうか。そこに単なる意思疎通としてのコミュニケーションをこえた学びがうまれるとき、その学びは、彼らひとりひとりの大学四年間の成長においてどのような意味をもちうるのでしょうか。本発表ではまず、発表者が三年間にわたって試行錯誤を続けている、学生どうしの対話を核とした授業実践をご紹介します。そして、その実践における学生の学びの分析を通して、言語や文化を学ぶことの意義を、その定義もふくめて再考察したいと思います。

 * 秋吉孝吉
 ジャン=クロード・レーベンシュテインの方法

 1942年生まれのジャン=クロード・レーベンシュテイン(Jean-Claude Lebensztejn)は、「古典文献学と美術史学の押さえを完璧に成した上で、これまでに企てられていない問題設定と斬新な視点から対象に切り込む」(三浦篤)論考を、雑誌Critiqueやポンピドゥー・センター発行のLes Cahiers、あるいは著書の中で、数多く発表してきた。美術史関係の仕事に関しては『西洋美術研究』9号での三浦篤によるインタビューに詳しいが、本発表では、2009年に出版されたPygmalion(les presses du réel, 2009)を中心に、その論述のスタイルについて考察してみたい。

 * 白田由樹
 「東洋女性」の表象とサラ・ベルナール-1900年パリ万博における川上貞奴との比較から-
  本発表は、これまでのサラ・ベルナール研究の補完として、また今後ジェンダーと人種をめぐる表象の考察へと展開させていくための模索段階として行うものである。博士論文では、この女優がイメージ戦略としてユダヤ女性のイメージを利用したこととともに、後期における男役には中心的・英雄的な主体性を示す自己表象への希求が表れていることを確認した。しかし、自らの「ユダヤ性」や「女性性」を観客の期待に沿って体現した面と、愛国心を英雄的に体現するもうひとつの面との温度差は、それぞれの作品にたいする言及や沈黙の中に垣間見えるものの、じゅうぶんな検証はできていない。
 日仏演劇の比較研究としての今回の試みは、1900年のパリ万博でブームを起こした川上音二郎の一座とその看板女優であった貞奴に対し、サラ・ベルナールが示したとされる拒絶反応のエピソードに由来する。その背景に、観客の期待によって作り出される「東洋」と「女性」の特性、それを強化する身体や視覚表現の役割、みずからを「他者」の姿で客体化する商業的戦略と、主体としての自己表象への希求の間にあったジレンマを検証することが、本発表の主旨である。サラの演目としては、1884年に初演され、大ヒットしたヴィクトリアン・サルドゥの古代オリエント劇『テオドラ』を検討の対象とする。
 19世紀末における人種とジェンダーの表象に関する問題は、近年さまざまな方向から取り上げられているが、本発表ではこれらの表象を体現する者とまなざす者との関係から考察し、「東洋人」や「女性」表現者の内的動機と葛藤を解明していく手がかりとしたい。

 *津川廣行
『背徳者』にみる進化論的発想

本発表は、ジイドの『背徳者』を取りあげ、架空の起源から世界を誕生させ作りあげていったソチ『鎖を離れたプロメテウス』の場合とは反対に、こ のレシにおいては、現在の制度や慣習から起源へと遡行するその逆向きの過程のうちに進化論的発想がみられるとするものである。「文化とは命から生 れて、命を殺す」ものだという考古学者ミシェルの思想表明のうちに、ジイド評者達はこれまで、彼の新しい生き方を導くモラルをしかみなかった。本 発表では、原初の「命」へと向かうことによってその起源にはあったはずの調和を求めようとする主人公ミシェルの試みは、病気から回復した者のモラ ル体験であったばかりでなく、一種の歴史体験でもあったとする。すなわち、パリ、ノルマンディー、北アフリカという彼の旅程は、三年間の個人的体 験であったばかりでなく、「プリミティヴ」なものへと向かう歴史的なスパンの体験でもあった。かつてのタヒチにおける「プリミティヴ」な人たちへ の関心を、ジイドはダーウィンと共にするが、ただし、科学者として慎重だったダーウィンの進化論が「中間からスタート」しているのにたいして、モ ラリストとしてのジイドは、ミシェルの「背徳」を善悪の彼岸へと導く、リセット装置としての「起源」を仮定しないではおかなかった。以上、『背徳 者』にはジイド独特の進化論的発想がみられるものの、それは、起源への遡行という点、また進化をやめた文化や制度への警告という点において、いわ ば裏返された進化論の発想であったといえる。

きたる11/12(土)に大阪市立大学で開催されるSJLLF関西支部大会のプログラムはコチラです。

1
9月

大阪市立大学フランス文学会

   Ecrit par : etudiant   in 学会

日時:2011年9月10日(土) 15:30より
 (14:00より 運営委員会@L333)
場所:大阪市立大学法学部棟11階711C教室

【研究発表】

1.藤澤秀平
 「プルースト作品における鏡と眠り - 「わたし」の同伴者を求めて」

 見出された時』で展開される「わたし」の大変よく知られた文学論・読書論によると、一冊の書物とは「一種の光学器械」であって、「それによって読者は、この本がなければ、おそらく自分の中に見ることのできなかったものを見分けることができるのだ。」(IV,490)とある。ただ、自分の中に何ものかを見分ける。それも、書物という特殊な「光学器械」がなければ目にすることが出来ないものを見る、とはいかなることだろうか。
 この私が自分自身を見つめる。内省や、反省を意味する喩えではなく、自分の認識をその認識主体にリアルに折り返すことは、けっして容易いことではない。例えば、それはまどろみに落ちようとするものが、まさにその瞬間において眠りを正確に捉える離れ業にも似ている。しかし、そうした折り返された意識の働きが真の意味で働かなければ、私たちはただ、どこまでも続く現在という時の流れに飲み込まれるだけとなってしまう。
 外部から自己を見つめるという、プルースト作品において試みられた、いわば困難な自己超越の冒険を、鏡・眠りといったテーマから辿り直してみたい。

2.津川廣行
 「フランクリンの「諺」からみた『鎖を離れたプロメテウス』――複雑系的ジイド論の一環として――」

 ベンジャミン・フランクリンの作ともされる「くぎが一本抜けることで蹄鉄がはずれ、蹄鉄がはずれて馬が倒れ、馬が倒れて騎手が命を落した」とい う「諺」は、わずかな手抜かりも重大な災厄をもたらすという喩えとしてよく知られている。本発表は、この「諺」についての、気象学者エドワード・ ローレンツおよび理論生物学者スチュアート・カウフマンの解釈の仕方をモデルとして同じく小さなきっかけが大きな結果をもたらす話を含む、アン ドレ・ジイドのソチ『鎖を離れたプロメテウス』について考察するものである。考察の結果、作者は、ソチ的要素の導入によってもたらされた予測不可能性、非周期性、一言でいえば無秩序と、他方、それによって攪乱された、実験的社会状況における予測と再現が可能な秩序とのあいだに、――カオスと いう広大な研究領域があるとする複雑系の科学と同様――、秩序を乱す作用が同時にまたこれを創り出す作用でもあるような領域を垣間見ていた、とい うことが分ったとし、ジイドは、そのような領域の存在を、ダーウィンの『種の起源』から学んだと結論する。

 

日本フランス語フランス文学会 関西支部大会

日時2011年11月12日(土) 14h-

場所大阪市立大学1号館(JR阪和線杉本町・大阪市立大学前駅下車、徒歩5分)

申込〆切2011年8月22日(月)

申込方法下記を記載したメールにて(宛先:frn-info@lit.osaka-cu.ac.jp)

1. 氏名

2. 発表形式(特別発表、分科会発表(25分)、日本語による発表、フランス語による発表の別)

3. 発表題目

4. 所属機関・職名(大学院生の場合は修士・博士課程在学・修了・退学の別)

5. 連絡先(住所、電話番号、E-mailアドレス)

問合〒558-8585 大阪市住吉区杉本3-3-138
大阪市立大学大学院文学研究科フランス語圏言語文化学研究室内 関西支部大会準備委員会

frn-info@lit.osaka-cu.ac.jp

fax :06-6605-2350(文学研究科事務室内)