交換留学生募集(リヨン第3大学、セルジー・ポントワーズ大学)および短期言語文化研修生募集(セルジー・ポントワーズ大学)につ いての説明会を、以下のとおり開催します。
日時:
4月25日(水)12:20-12:50
4月26日(木)12:20-12:50
場所:L336(仏文共同研究室)
説明会は終了しましたが、随時、説明には応じます(応募〆切5/13)。
募集要項:
交換留学生募集(リヨン第3大学、セルジー・ポントワーズ大学)および短期言語文化研修生募集(セルジー・ポントワーズ大学)につ いての説明会を、以下のとおり開催します。
日時:
4月25日(水)12:20-12:50
4月26日(木)12:20-12:50
場所:L336(仏文共同研究室)
説明会は終了しましたが、随時、説明には応じます(応募〆切5/13)。
募集要項:
2012年度の独仏教室ガイダンスを、以下のとおりおこないますので、かならずご出席ください。
日時■2012/04/05 13h-
場所■126教室(1号館)
本発表では、フランス語フランス文学などの関連分野を専攻としない学生へのフランス語教育について考えます。いわゆる仏文専攻の学生を対象としたフランス語教育については、フランス語の文献を読みこなしたり、関連分野に関する文化的素養を身につけたりすることが授業目標となる場合が多いと思います。ではその他の、理系も含む他専攻の学生は、フランス語の授業から何を学ぶのでしょうか。そこに単なる意思疎通としてのコミュニケーションをこえた学びがうまれるとき、その学びは、彼らひとりひとりの大学四年間の成長においてどのような意味をもちうるのでしょうか。本発表ではまず、発表者が三年間にわたって試行錯誤を続けている、学生どうしの対話を核とした授業実践をご紹介します。そして、その実践における学生の学びの分析を通して、言語や文化を学ぶことの意義を、その定義もふくめて再考察したいと思います。
本発表は、ジイドの『背徳者』を取りあげ、架空の起源から世界を誕生させ作りあげていったソチ『鎖を離れたプロメテウス』の場合とは反対に、こ のレシにおいては、現在の制度や慣習から起源へと遡行するその逆向きの過程のうちに進化論的発想がみられるとするものである。「文化とは命から生 れて、命を殺す」ものだという考古学者ミシェルの思想表明のうちに、ジイド評者達はこれまで、彼の新しい生き方を導くモラルをしかみなかった。本 発表では、原初の「命」へと向かうことによってその起源にはあったはずの調和を求めようとする主人公ミシェルの試みは、病気から回復した者のモラ ル体験であったばかりでなく、一種の歴史体験でもあったとする。すなわち、パリ、ノルマンディー、北アフリカという彼の旅程は、三年間の個人的体 験であったばかりでなく、「プリミティヴ」なものへと向かう歴史的なスパンの体験でもあった。かつてのタヒチにおける「プリミティヴ」な人たちへ の関心を、ジイドはダーウィンと共にするが、ただし、科学者として慎重だったダーウィンの進化論が「中間からスタート」しているのにたいして、モ ラリストとしてのジイドは、ミシェルの「背徳」を善悪の彼岸へと導く、リセット装置としての「起源」を仮定しないではおかなかった。以上、『背徳 者』にはジイド独特の進化論的発想がみられるものの、それは、起源への遡行という点、また進化をやめた文化や制度への警告という点において、いわ ば裏返された進化論の発想であったといえる。
以下のとおり追い出しコンパを開催します。
日 2012年3月16日(金)
時間 19:30-21:30(19:20にJR天王寺中央改札口集合)
場所 阿倍野Qs4F イタリアクアトロ
費用 一人3000円
(別途追いコン費用700円もお願いします)
以下の日程で今年度最終の中間発表会を開催します。
院生■12/9(金) 10-13h
学部生■12/16(金) 9-12h
場所■L336
該当者はご参加ください。
きたる11/12(土)に大阪市立大学で開催されるSJLLF関西支部大会のプログラムはコチラです。
下記のとおり中間発表会を開催しますので、該当者はかならずご出席ください。
【大学院】
日時■2011/10/07 vend. 13-16h
所■L336
【学部】
日時■2011/10/14 vend. 10-13h
所■L336
■日時:2011年9月10日(土) 15:30より
(14:00より 運営委員会@L333)
■場所:大阪市立大学法学部棟11階711C教室
【研究発表】
1.藤澤秀平
「プルースト作品における鏡と眠り - 「わたし」の同伴者を求めて」
見出された時』で展開される「わたし」の大変よく知られた文学論・読書論によると、一冊の書物とは「一種の光学器械」であって、「それによって読者は、この本がなければ、おそらく自分の中に見ることのできなかったものを見分けることができるのだ。」(IV,490)とある。ただ、自分の中に何ものかを見分ける。それも、書物という特殊な「光学器械」がなければ目にすることが出来ないものを見る、とはいかなることだろうか。
この私が自分自身を見つめる。内省や、反省を意味する喩えではなく、自分の認識をその認識主体にリアルに折り返すことは、けっして容易いことではない。例えば、それはまどろみに落ちようとするものが、まさにその瞬間において眠りを正確に捉える離れ業にも似ている。しかし、そうした折り返された意識の働きが真の意味で働かなければ、私たちはただ、どこまでも続く現在という時の流れに飲み込まれるだけとなってしまう。
外部から自己を見つめるという、プルースト作品において試みられた、いわば困難な自己超越の冒険を、鏡・眠りといったテーマから辿り直してみたい。
2.津川廣行
「フランクリンの「諺」からみた『鎖を離れたプロメテウス』――複雑系的ジイド論の一環として――」
ベンジャミン・フランクリンの作ともされる「くぎが一本抜けることで蹄鉄がはずれ、蹄鉄がはずれて馬が倒れ、馬が倒れて騎手が命を落した」とい う「諺」は、わずかな手抜かりも重大な災厄をもたらすという喩えとしてよく知られている。本発表は、この「諺」についての、気象学者エドワード・ ローレンツおよび理論生物学者スチュアート・カウフマンの解釈の仕方をモデルとして同じく小さなきっかけが大きな結果をもたらす話を含む、アン ドレ・ジイドのソチ『鎖を離れたプロメテウス』について考察するものである。考察の結果、作者は、ソチ的要素の導入によってもたらされた予測不可能性、非周期性、一言でいえば無秩序と、他方、それによって攪乱された、実験的社会状況における予測と再現が可能な秩序とのあいだに、――カオスと いう広大な研究領域があるとする複雑系の科学と同様――、秩序を乱す作用が同時にまたこれを創り出す作用でもあるような領域を垣間見ていた、とい うことが分ったとし、ジイドは、そのような領域の存在を、ダーウィンの『種の起源』から学んだと結論する。